馬鹿にされてるのは良心?グリーン車Tweet擁護へのカウンター

超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2138874851318942501

グリーン車に乗せるべき」はなぜ炎上した?
http://togetter.com/li/611725

バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2014/01/04/140128


に関して思う事など。


Tweet内容そのものに対する感想
このTweetそのものに関しては、「あんた、客商売でクレーマー対応したりしたことあるんかい?」という感想しか持てません。
ルールを曲げる事を良識として認めた時、確かに大多数はルールを守るでしょう。が、極一部の悪用者は必ず発生しますし、それを排除出来る方法が無くなるのです。
大多数の良識に支えられる運用が、一部の悪用者によって、どれだけ酷いコストが掛かるか。
客商売をしている人、また各種窓口担当者、教師など。今回は車掌。"現場に居る人"は身に染みてそれを知っています。


非常時にルールを守る愚は犯したくないと思うけれども、新幹線の遅延などというレベルの話で、逐一ルールを破っていては、そもそもルールを作る意味は無いのです。
代替手段も、スケジュールの変更も、いくらでも方法があり、さらに言えば、混雑して遅れが発生することが分かっている新幹線に乗る事自体が、個人の都合でしかないわけです。仕事なら、それこそもっと別の手段を取れるでしょう。


多数の人と使役者として対峙することなく食って行ける、理想を語れる人と、使役され実際に働いている人の感覚のズレが、今回のTweetに表れているように思います。


この思考について、「お前は飼いならされてるだけだ」と思うのは勝手です。いや、実際そうでないとは言い切れません。
が、多くの人が、今回の処置に異を唱えないからこそ、ルールが生き、それにより運用が最省力化されている事は間違いありません。


■ ではなぜ、多数の人が叩く側に回ったのか?
上の感想は、私自身の感想です。で、私はこの感想を持ったとしても、それをそのままバッシングにする訳も有りません。意見は言いますが、バッシングに相当するような言い方はしません。
が、感情的と見られる位の言動で、このTweetを非難する人の気持ちもわかります。
それは、恐怖心。


「無茶を言うヤツを叩かないと、自分達の生活や仕事において、勝手なヤツだらけになる」


という思考です。
ただでさえ面倒な事が多いのに、善意と見せかけ勝手を押し付けてくる連中程、タチの悪い奴は居ません。


再度言いますが、非常時にルールを守る愚を犯す事は、誰だってしたくありません。
しかし、「ちょっと融通きかせてくれ」という類の話が、今現在の日本社会において、恐怖を持って警戒されるワードとなっている位に、現場が疲れている事に気が付いて欲しいとも思います。


■ ネット炎上物件に思う事
バッシング・炎上物件において、ネット上の同調圧力や悪意に突き動かされ、ただ単に罵詈雑言を叩きつける連中が居る事は確かです。
そしてそれによって、過去において、スマイリーキクチさんなど、大変な苦労をされた人が居るという事実は、決して忘れるべきことではありません。


その上で。


ネットの炎上物件に対応するには、叩いている側を詳しく考える必要があるのです。
1)何故そのバッシングが是となる背景があるのか
2)その背景は、また別の理由を抱えていないか
3)炎上している現場ばかり見ていないか(冷静に議論されれている場所が別にあるのではないか)
今回の件では、 1)と2)についての背景を、このエントリで考えてみた訳です。そして、叩いている側にも一分の理があると、私は思います。
そして、3)について。
Naverまとめや2ch等ばかりを見て、「炎上してる!バッシングされてる!」と騒ぐのは、病院に住んで「この世は病人だらけだ!」と嘆くようなものです。
わざわざ肥溜めを覗いて臭い臭いと騒ぐような、そんな自称良識派が、最近目に付くのが、なんだかなぁという印象を持ってしまいます。
(まぁ、わざわざこういうエントリを書いている自分も、肥溜めを覗きたがる馬鹿であることは否定しません^-^;)


悪意だけで動く人間は、実際そんなに居る訳ではありません。
良心が有るからこそ、今回の対立は起きましたし、バッシングという手を使ってでも、クソ忙しいであろう最中に車掌さんのリソースを使った人を非難し、ルールを守る人が増える事を願ったのです。


今回の件に限らず、
「ネットの悪意」
「バッシングに快感を覚える人が居る」
「他人を妬む心がバッシングを生み出す」
などという、人を信じない、ありもしない物を理由にした言論は、もう飽きましたし、それは何も生み出しませんでした。


バッシングに対抗するのであれば、せめて、深層を自分なりに考えませんか?
文句も、擁護も、それを発信しているのは、人間なのですから。